【皆中稲荷神社と鉄炮組百人隊】
寛永年間、徳川幕府が鉄炮組百人隊を此の地に駐屯させており旗本や
上下の士に篤く信仰され、又(百人町の由来)町名も百人町と名付けられました。
当時、鉄炮組与力が射撃の研究に精魂を傾けておりましたが中々思うに任せず、
稲荷之大神が夢枕に立たれ霊符を示されました。翌朝不可解なまま社頭にお参りを済ませ、
大矢場にて射撃を試みたところ百発百中、見事な進境に驚いたとのことであります。
此れを目のあたりに見た旗本の士が競って霊符を受け射撃をしたところ悉く的中したと云われます。
此の話が近郷近在に伝わり、唯射撃のみでなく様々な願い事をする参詣者が日増しに多くなり、
不思議な神託霊夢などにより幾多の霊験あらたかなものがあり、世人は此の神社を「皆中の稲荷」と
称へるようになり、それ以後「皆中稲荷神社」と云う名で呼ばれるようになりました。
現在当神社には鉄炮組百人隊が奉納した、鳥居、手水舎、灯籠等があり、往時の面影を留めております。 |